koji-xの小部屋

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被災地を応援する方法について考えてみた

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熊本の震災に関して、堀江貴文さんがツイッターで「自粛したところで被災者が助かる訳ではない」と発言して、ちょっと盛り上がっているそうですが、私もこういった感情論は意味が無いと思っています(どころか害悪でさえある)。

要は、

  • 「どうすれば、ひとりでも多くの命が救えるか」
  • 「どうすれば、復興が一日でも早く進められるか」

が大事で、それに関係ない感情論はこの際抑えるべきだし、被災者の方を想う気持ちはそれぞれが自発的に持つべきもので、他人がとやかく言うべきではないと思っています。

大きな災害が起きた後、数年は、その日、その時間になると、黙祷を捧げる事になると思います。
個人でやる分にはいいんです。犠牲となった方や、遺族や、誰か大事な人のことを想い、祈りを捧げる。毎日でもやったら良いと思いますし、私も割りと毎日、想いを馳せることくらいはしています。
ですがこれを、他人が強制するのはいかがなものかと。

東日本大震災後、毎年3月11日になると、1分間の黙祷をするよう、通達があります。多分どの会社や、学校なんかでも同じでしょう。
ですが私は、この慣習が嫌いです。目なんかつぶったって誰の命も救えない。そもそも強制されてやるものではないし、そういう慣習があることだけを教えて、後は思い思いにやらせたらいいんです。

心は目に見えないものだし、私が被災者に対してどんな気持ちを抱いているかは誰にも説明できないし、する意味もない。
まして誰かに強制されるものでは決してありません。

また、本当にこれは良くないことだと思うのですが、そういう感情論に走る人は、自分は被災者のことを考え胸を痛めている、とてもエラい人間で、そういった感情論には浸からずに、合理的に考え、多くの人を救う方法を発表したり実践したりしている人を非難する事が多いです(先ほどの堀江さんの例でもそうですが)。

人の命を救うための具体的な方法論(例えそれが拙いものであったとしても)を考えている人間の足を引っ張る行為。そこにはもはや、被災者を思う気持ちなど微塵もなく、ただただ自分が素晴らしい人間であることを(本人は気づかず)、アピールしたいだけなのです。

まあそれはそれとして、今回は被災地応援のための具体的な案をちょっと思いついたので、書いてみたいと思います。

先ほど出した黙祷の話ですが、こんな無駄なことに時間を使うなら、その分、被災地の支援になることをすればいいんじゃないかと。

例えば、従業員が60人いるとして、全員に1分間黙祷させるのを止め、一人に60分与えて、通販で買える美味しいご当地グルメとか、オススメの観光スポットとかを調べさせて、全社員にメールさせるのはどうでしょう。
それを見て、誰か一人でも物を買うなり旅行に行くなりすれば、多少なりとも被災地の助けになるでしょう。

何も買わなかった人も、こんな食べ物やスポットが有るんだなってことを知ることになって、少なくとも60人の従業員に対しては被災地の知名度が上がります。
当然、被災者に対して想いを寄せる時間も増えるでしょう、黙祷なんかするよりはよっぽど。黙祷は一分しかないですが、ご当地グルメについて悩んでる時間はそれよりは長いでしょうしね。
「これ美味そうだなー、作ってる人たちも今大変なんだろうけど、ちょっとは手助けになるかなー」とか思う人もきっといるはず。

将来、自分たちが被災した時に、全国の企業が、

  • 全員、1分間の黙祷をしてくれる。
  • 全員、地元の特産品や観光スポットについて悩んでくれる。

私たちはどちらを望むでしょうか。

従業員全員が、より具体的な被災地への支援と、追悼の気持ちと、エールを送る気持ちを持てる、そんな施策だと思うのですが、いかがでしょう。

できることはあるはず。

 

なんだったら「うちの会社はこんな施策を取っていますよ」ってことで、会社のアピールポイントになるかも。こんなのは打算でもなんでも良いんです。むしろ利己的な方がいい。↓

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